こんにちは
心笑庵(@shinsyoan777)
です。
いや〜久しぶりの更新となってしまいました(笑)
先月は1つしかブログを書かなかったんですね。
習慣とは怖いもので一度書かなくなるとそれが普通になってしまいます。
これからは短くとも書いていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします(苦笑)
さて、ブログの方は書いておりませんでしたが
かめの方には書いてましたよ。笑
https://twitter.com/shinsyoan777/status/1409017114573246472
https://twitter.com/shinsyoan777/status/1409771038456516623多くを求めずあるものを大切にする。それは人でもモノでも同じ。こんな簡単な事がなかなか若い頃は難しかった。年をとるにつれ分かるようになりました。そして不思議とあるものを大切にしていると また何かやってくる。多くを求めなくとも いつの間にか多くを手にしている。この世界は逆説的なのかも? pic.twitter.com/69ypwun5Qi
— 心笑庵 | 人生山あり谷あり-70歳から第2の人生- (@shinsyoan777) June 27, 2021
早朝と夕方しか活動はできていませんが
着々と前に前進しております。
これからしばらく雨が続くようですので
もしかしたらペースを上げていけるかもしれませんね。
話は変わりますが
これまで何度か母親のことを書いてきました。
詳しくはこちらをご覧ください。↓
好き勝手放題、自由気ままに生きていた母に関しては
いくつもエピソードがありますし、
今後も何度もお伝えしていくかと思いますので
今回は父親のことを書いてみようかと。
あまり目立たない無口な父。
その存在が私に取って実は大きな支えとなっていたというお話です。
いつも病気がちの父
父親は私が幼い頃から病気がちで
病院と家の行き来を繰り返していました。
すぐに身体を壊してしまうので
なかなか仕事も継続してできない。
母親は母親で言わずもがな
色々な仕事をやっては何か問題を起こす。
こんな感じで我が家は生活保護に頼らなければ生きられない時期もありました。
ですが父は根はすごく真面目で人間としてできた人でした。
口数は少なかったのですが、
理不尽に怒るどころか、はっきりと怒られたような記憶がありません。
(代わりに母親を怒っていたからかもしれませんが。笑)
いつも穏やかで思慮深く、
人の悪口などはいう人ではなかった。
母親が私たち兄弟に何か言っても
いつもこちら側の方を持ってくれました。
「どうして父はこんなに優しいのだろう?」
と感じたこともあったのですが、
今思えば父は父で後ろめたい気持ちがあったのだと思います。
本当は家族を支えなければいけないはずの自分が入退院を繰り返しまともに働けない。
母が色々なところで問題を起こし、それを強くたしなめることもできない。
きっと内面ではかなり葛藤があったことでしょう。
病気を繰り返す不甲斐ない自分。
そのストレスせいか余計に母は問題を起こす。
息子たちを満足させることはできない。
一番追い詰められた時には
実際親戚に「もう離婚したい」と漏らしたこともあったとか。
父は父でつらい苦しみの中にいたのです。
そんな父の姿を見ていて
私はというとそんな父親の姿を見て
不思議と情けないですとか頼りないと感じることはありませんでした。
それどころか
私はそんな父親をどこかすいごいと感じていたんです。
ちょっとしたことですが、
学校の提出物などにさらさらっと書いた字はとても美しく、
色々な工具を使い、家を修理したり
さまざまな小物を自作する姿は何だか魔法使いのようで
子供ながらに憧れていました。
いつも訳のわからない行動をとる母親の姿に耐え
自制心を失わない穏やかな父。
もし父の精神が弱いなら一歩間違えばアルコールに逃げ
アル中になっていてもおかしくない状況だったと思います。
けどそうはならなかった。
病気がちながらも私たちをいつも見守ってくれていた。
だから父を悪くは思わなかったのだと思います。
その証拠にこんなエピソードがありました。
それは母方の実家に行った時のこと。
母は祖父から可愛がられていたため
こともあろうか父親の悪口を言い始めたのです。
「あの人はこんなところがあっとよ!ほんに腹が立つ!」
祖父も決して悪い人ではないのですが、
やはり娘可愛さに母の肩を持ちます。
ですから母の破天荒な行動にも目を瞑っているようでした。
そんな姿を見て
(親父はそんな人じゃない!悪いのはお袋の方じゃないか!)
言葉には出しませんでしたが、
そんなこともあり余計に父親の味方でなければならないと思った記憶があります。
真面目にやっているのに理不尽な扱いを受けるのは絶対に違う!
親父は身体は弱いけど誠実に生きているだけだ!
そんな思いが私を非行などの道に行かせませんでした。
貧しさ、そして自分勝手な母。
幼い頃のエピソードを人に語るたび
「そんな状況でよくグレんかったですね?」
と言われることも多い。
私も確かにそうだなと感じることもあったけど、
そんな酷い状況の中、
私が道を外さずに明るく歩いてこれたのは確実に父の存在があったから。
「私は父の味方でなければならない」
どこかで父を守らねばならないと感じていたのかもしれません。
確かに長いこと病気がちでしたが、
神様仏様の計らいか案外長生きしてくれました。
最後まで働くことをやめず80過ぎまでパチンコ店の清掃の仕事を精一杯やっていたし、真面目で実直なその背中は輝いていました。
なんだかんだで私は父のことが好きだったのだろうと思います。
幼い頃、弟と川で魚を取ってきて料理し、
父に食べさせて、父の喜ぶ顔を見るのが嬉しかったし
なんだかんだで父に褒められるのが嬉しかった。
その時はわからなかったけど今ならわかります。
破天荒な母の存在。
貧乏な生活。
人から同情を浴びたくないと強がった日々。
人より劣った存在だと思わずに済んだのは、
私と弟がグレずにまっすぐ歩いてこれたのは間違いなく父親のあの性格のおかげ。
母方の実家から色々言われたとしても
それを飲み込んでしまうほど人間的にできた人だったから。
あの父がいてくれたからこそ今の私があります。
人生はバランス良くできている
こうやってお陰様で私も歳をとり
過去を振り返るといつも思うことがあります。
それは
「人生はなんとバランスが取れているのだろう」
ということ。
もし父が病気もせずバリバリ元気に働けていたのなら
おそらく母とは離婚していたと思います。
そうなればきっと私も弟も違った道を歩いていたことでしょう。
性格ももしかしたらねじ曲がっていたかもしれない。
きっと熊本にも帰ってきてないかもしれません。
ということは妻とも出会っていませんし、
子供たち、もちろん今の孫たちもいなかった。
全てが変わってきてしまいます。
そう考えると父が病弱である必要があったし、
母はあのように破天荒である必要があった。
幼い頃、貧乏を体験する必要があったし、
その後の色々な体験も必要だったから経験した。
何だか全ての流れが完璧に用意されていたような気さえします。
バカボンのパパではないですが、思わず
「これでいいのだ!」
と言いたくなってしまいます。笑
あの母親と最後まで別れずにいた父はそれだけですごいと心から思いますし、
私だったら絶対にできなかったでしょう。
ほんとそれだけで十分すごい。(苦笑)
つまり私に取ってはあの父が、そしてあの母が最善だったということ。
人智を超えたことはよくわかりませんが、
全てはうまく回っているようです。
どんな時でも全て順調と信じる
生きていれば
「なんでこんな目にあうんだ・・・」
というようなことが必ず起きます。
私が社会人になっても繰り返される母親の借金癖を目の当たりにするたび、
催促の電話がかかって来るたびに、
「何故こんな母親の元に生まれてしまったのだろう?」
「別の家に生まれていれば・・・」
と苦悩した時間も短くありません。
けれどそこにはいつも父の姿がありました。
「哲雄すまんな」
と悲しい顔をする父の姿を見たくなかった。
だから私も耐えてきました。
妻にも散々迷惑と心配をかけてしまいましたけど、
父が長年耐えてきたから私も我慢しよう、そう思えた。
そしてその苦しい期間があったから、
その苦しみを乗り越えてこれたからこそ
得られたこともたくさんあります。
苦しさ、つらさ、悲しさ、情けなさ。
一般的にネガティブな体験と言われるようなものでさえ、今では全てが笑い話です。笑
これでよかったんだ・・・。
後ろを振り返ってみるとそう思わずにはいられません。
今そう感じられない人もいつかきっと
そう感じられる日がくると信じて今できることを精一杯やる。
そうすれば扉は開きます。
少なくとも私はそうでした。
もちろん山あり谷ありはありましたけど、
がむしゃらにやってきたから今があります。
全てはきっと成るべくようにしてなる
父の存在。(母の存在も。笑)
それが私にそう言っているように感じるのです。
P.S.
母は晩年
「はよ、じいさんのところに行きたか〜」
と口にしていたが、
父が亡くなって20年以上母が長生きしたのも
きっと父が天国で
「お前はまだこんでよかぞ!もう少し一人を楽しませてくれ!」
と拒否していたからだろうと家族で話していたのは内緒です。笑
(※私が母を見捨てることができなかったのは、祖母の存在も大きいのですがそれはまた今度話します)
最後までお読みいただきありがとうございました。
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私は長年経営していたスーパーをやめて、現在は創作活動をしながら地域を盛り上げるような活動を行っています。
これまで本当に山あり谷ありの人生を送ってきて、決して順風満帆ではありませんでした。
幼い頃の貧乏生活、若い頃の度重なる挫折、何度病院に通ったかわからないほどの病の連続、そして我が子の死。
思い返せば苦しい時期の方がはるかに長かった。心が折れそうになったことは数知れません。
けれどいつも笑顔とユーモアを持ち続けてきた結果、今では自分のやりたいことで周りの人に喜ばれるような活動ができています。
こんな風な人生になれたのも人のためという気持ちを忘れなかったからだと感じます。ここまで生きて来れて本当によかった。
悲しいことはありましたけど、私は私として人生を生きられることを幸せに思います。ある程度年齢を重ね、人の喜び=自分の喜びだと今では深く感じています。
ありがたいことに私の拙い言葉で感動されたり、涙を流して喜ばれる方も出てきました。 私はそれが嬉しくてたまりません。私ができることで1人でも多くの皆さんのお役に立てるのならこれほど嬉しいことはありません。
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