それは思わぬ出会いからはじまりました
私が住む熊本県山鹿市鹿北町は熊本県の最北端に位置し、福岡県との県境にあります。
お茶や筍、栗などが有名な自然あふれる田舎町です。
熊本に帰郷した40年前と比べると町の人口も半分になり、我が鹿北町もご多分に漏れず過疎/少子化の波に晒されています。その結果、もともと3つあった保育園も1つに統合されることに。
私が経営するスーパーから保育園に商品を納めていましたので、毎朝給食の材料を納品して市場に行く。そんな生活を長年繰り返していると自然と先生方とも仲良くなります。
これは3つある保育園の中の1つ、「岳間保育園」でのお話。
統合を1年後に控え、数十年お世話になった保育園に何か恩返しができないか、私は模索していました。
「何か記念になるものがいいよな・・・」
いろいろ考えてみるもののいまいちいいアイデアが湧きません。そうこうしているうちに数ヶ月が経過。
8月のある日、岳間保育園の明るく元気な先生方がみんなお揃いのTシャツを着ていることに気がつきました。
岩のようなキャラクターがデザインされた印象的なもの。
「そのTシャツのデザインはなんですか?」
私が思わず尋ねると
「あ〜これは『大岩守さん』ですよ。保育園の真ん中にある大岩を描いたものです。」
そう言われて保育園の反対側に回ってみるとそこにはありえない光景が・・・。
なんと保育園の建物の真正面に巨石があるではないですか!
長年商品を納品していたものの、給食室前までしか行きませんので反対側にこんな大きな岩があるなんて、その時初めて知りました。
普通でしたら保育園建設時に退けられていてもおかしくないほどのサイズです。
「はぁ〜ふとか岩(大きい岩)ですね〜!」
私が感嘆の声をあげていると、先生はこう続けました。
「そぎゃんでしょ?笑 この岩は、岳間保育園の守り神なんですよ。子供たちは毎日岩に登って遊んでいますけど、ここまで数十年一人も怪我した子はいないらしいです。」
岩の表面は子供たちが上り下りを繰り返したせいで、とても滑らかになっています。
大岩はここで数十年間も子供たちの成長を見守ってきていたのでしょう。
保育園を後にし、いつものように市場へ向かう道すがら考えていました。
「大岩守さんか・・・まさかあんなに大きな岩があそこにあるなんて思いもしなかったな・・・」
そう思い、車内から外に目をやると、茶畑が広がり、その周りには一面の杉林が広がっています。その間には小川が流れ、空には入道雲が。夜多少涼しくなってきたということは夏が終わり秋の足音が近づいているサイン。
私はこの岳間の風景が大好きです。季節ごとに表情を変えるその姿は毎朝通っても飽きることはありません。春には桜、そして新緑の季節は茶畑。夏には渓谷で涼み、秋の紅葉はそれはそれは綺麗で。冬、うっすら霜が降りた里山の風景も風情があります。
ですから毎朝岳間保育園に行くのが楽しみでした。
美しい風景と明るい先生たち、そして無邪気な子供たち。
納品しに行くついでに毎日元気をいただいたようなものです。本当にありがたいこと。
そんなことを感じているうちにふとアイデアが降りてきました。
「そうだ!大岩さんを題材にして、子供に元気を与えられるような物語を作ろう。」
この岳間という素晴らしい環境で育った子供たち、そしてそれを支えてきた先生たち。全ての人がこの岳間保育園に来れてよかった。そう思えるような物語を。
これまで私が受け取ってきたものを今度はお返しする番だと思いました。
そして2016年9月頭に執筆を開始したのです。
転機はいつも突然に
ストーリーは割とスムーズに思い浮かびました。
仕事の合間、そして仕事が終わってから毎日少しずつ構成を考える日々。
疲れはありましたが、何よりも保育園の先生や子供の喜ぶ姿を想像すると早く完成させたくてしょうがありません。
夢中で取り組みました。
あらかた完成が見えてきた私は、はやる気持ちを抑えきれず途中までのものを周りの人に読んでもらうことに。
「うぁ〜すごくいいですね!」
「これなら子供たちも喜びますよ!」
そんな言葉をもらい私のテンションは更に上がります。これはいいものができそうだと確信してきた折、誰かが
「これ絵本にしたら最高ですね」
そう口にしたのです。私はハッとしました。
「確かに!!もともとTシャツのデザインからヒントを得たんだから、この物語にイラストがつけばきっと素敵な絵本になる!」
こうなれば私の行動力がものをいいます。すぐさま園長先生に連絡を入れると、あのイラストは先生の娘の旦那さんが描いたものだということが判明しました。そこですぐさまその方(稗島孝一郎さん)に連絡をとり、イラストを依頼。
私の思いを伝えたところ、快諾していただき、絵本完成までの道筋が整ったのです。
・・・が、しかし。その後思わぬことが。
人生にまさかはつきものですが、このまさかだけは起きて欲しくなかった。
今でも時々、時間が巻き戻らないかと考えてしまいます。
次男が亡くなりました。
自死でした。
私も若い時から色々な経験をしてきましたが、まさか自分の人生にこんなことが起こるとは夢にも思いません。これまでのつらく悲しい出来事が全て些細なことだったと思えるほどの衝撃。
子供を亡くす経験というのはおそらく人生で最もキツいことではないでしょうか。
このつらさ苦しさは経験した人にしかわかりません。
息子はうつ病を患い、病院に入退院を繰り返していました。2016年春に退院してそれからスーパーで一緒に働き、7月半ばからまた体調を崩して自宅療養中でした。
残された長い遺書には息子の思いがびっしり。長期間かけて書かれたその文章には、どうしてその結論に至ったのか、その経緯から何から全て記してあり、さながら物語のよう。
幼い頃からどういう思いで生きてきたのか、何を感じ、何を思ってその行動になってしまったのか。
人に対する気遣いは人一倍の息子でしたので、残されたものへの配慮までしっかりしてありました。
「誰のせいでもない。自分の意思で逝く。」
そう結ばれた遺書は奇しくも私が絵本を書き始めた2016年9月頭から書き始められていることに気づきました。
私がワクワクしながら絵本の物語を書いていたのと同時期に、息子はこの世界から去るべく別の物語を書いていたのです。
「俺は一体何をしていたんだ!息子としっかり向き合うこともせず、自分のことしか考えていなかった・・・」
「ごめんな・・・ごめんな・・・ごめんな・・・」
完全に父親失格だと自分を罵りました。
しばらく何のために生きてきたのかわからなくなりました。
「一体どうすればよかったんだろうか?」
正直息子とどう接すればいいのかわからなかったのです。
もっと正面から話せばよかったのか?
もっと頻繁に声を掛ければよかったのか?
ぶつかってでも自分の思いを伝えるべきだった?
Ifはいくらでも浮かびますが、もはやどうすることもできません。
全ては虚空に消えていきます。
悲しむ資格さえないような気がしていました。
自分のそれまでの行いが全て間違いだったのか?
何もかもがわからなくなりました。
けれどきっと妻の方がつらいはずです。二人揃って落ち込んでしまえばおそらく妻は立ち直ることができなくなるでしょう。
「私は形だけでも前を向かなければ」
ですから妻の前では表立って悲しみを表現することは避けました。私が泣いてしまうと、全てが壊れるような気がしたんです。
仏壇の息子の遺影に
「1本もらうよ」
そう声をかけ、供えてあるマルボロメンソールを1本拝借し、いつも息子がタバコを吸っていた玄関の椅子に腰掛け、中空を見つめながら煙を吐き出す。
隣に座り、こんな風に寄り添うべきだった・・・
そう感じながら涙が溢れてきました。
もう2度とその姿を見ることはできない
もう2度と話せない
もう2度と酒を酌み交わすことも叶わない
もう2度とあの笑顔を見ることはできない
小さい頃からの思い出が走馬灯のように過ぎ去っていきます。
取り返しのつかない状況は、12月の冷たい北風に飛ばされていくタバコの灰のように私の心に虚しさを残していきました。
自分のやるべきことは何なのか?
表向きは気丈に振る舞っていましたが、車で一人になるとやはり悲しさが襲ってきます。涙がとめどなく溢れます。特に対向車線にバイクが走っているとダメでした。まるで息子が乗っているように感じられるのです。
「夢だったらどれだけいいか」
突然訪れたこの状況が、どこか現実ではないような気がしてそんな風に思ってしまいます。
しかし私は会社の長でもありますから、スーパーの営業は普通にしなければなりません。
私が塞ぎ込んでしまえば、妻だけでなく従業員にまで心配をかけてしまう。
そんなことはできません。
ですからしばらくは自分の気持ちを抑える日々が続きました。
息子がまだいると思いたくて、息子の部屋の電気は1日中つけておきました。夜通し灯が灯るその部屋を見ていると少しだけ心が和らぐ気がしたのです。
そうしてあっという間に年が明けて2017年1月。
新しい1年が始まりました。
いつもならバタバタ忙しく年越して
「今年も頑張るぞ!」
そういう気持ちになるのですが、その時ばかりはいまいち気持ちの切り替えがうまくいきません。
何をしていても心にしこりを感じます。
そんな時、嫁ぎ先の長崎から帰省していた娘の夢に息子が出てきたのです。
息子は自分のバイクに乗りながら一人一人とハイタッチして遠くに消えていったというものでした。
その話を聞き、私の中には
「いつまでもそんなんじゃいかんよ。自分のことはもういいけん前を向いて。」
と息子の声が聞こえた気がしました。
そしてどういう因果かわかりませんが、私が園児に向けて書いていた物語は
「別れはつらいけど、悲しいことの後には楽しいことが待っている。だから前を向いて行こう。」
そんな内容でした。
「まるで今の私の状況じゃないか・・・」
園児を励ますために書いていたものが奇しくも自分に向けられたもののように感じたのです。
大岩守さんの声が、息子の声と重なり、何だか息子が後押ししてくれている気さえしてきました。
「私がこのままじゃ、この本の説得力がなくなってしまう。」
「今私がやるべきことは閉園式に間に合うように絵本を完成させること。」
「そうやって前を向いて進むことが、亡くなった息子に対する供養。」
そう思いました。
私は父親としては決して理想的ではなかったと思います。またそれを演じることはできませんでした。不甲斐ない思いはあります。だけどこれから先の人生を下を向いて歩んでいくことを息子は望んでいないはずです。
ならば
自分自身が精一杯生きて輝いている姿を天国の息子に見せてやろう
そう心に決めました。
これからどう生きるか
そして取りやめていた絵本の執筆を再開。それから物語に加筆修正をし、仕上げていきました。
そうこうしている内に稗島さんに依頼していたイラストも出来上がり。
知り合いに制作会社も紹介してもらい閉園式の約1ヶ月前の2017年2月末、ついに絵本は完成しました。急ピッチで進めたため細かい部分に至らない点はありましたが、自分の持てる精一杯の思いを込めました。
園児、先生たち、それまで岳間保育園に関わってきた全ての人に対する思い。
感謝、希望、夢、優しさ、悲しみ。
色々な思いが入っています。
そして旅立ってしまった息子への思いも。
物語を描き始めた当初はこんなことになるなんて思いもしませんでしたが、この絵本制作があったからこそ私は前に進むことができたように感じます。息子への思いも加わったこの作品は私の人生の中でも欠かすことのできないものとなりました。
ありがたいことにいくつかのメディアでこの活動を取り上げていただき、閉園式にはTV局の取材まで入り、地元の帯番組(英太郎のかたらんね)で20分にわたり特集され、私の想像以上のことが起こったんです。
山鹿市長も参加された閉園式では、スクリーンに絵本を映し、先生による読み聞かせも行われ、多くの人に喜んでいただける結果に。読み聞かせ中に先生自体が感極まって、泣いてしまわれたり、保護者の方も涙されている姿を見て、
「本当にやってよかったな」
と私も色々な思いが頭をよぎりました。
最後に園児らとともに大岩守さんへ向けて「ありがとうございました」と大きな声でお礼をいい、閉園式は閉幕。
式典終了後、園長先生(妻の同級生)から
「ありがとうございます。野中さん(私)のおかげで最高の閉園式になりました。もうこれ以上はないくらい幸せな気持ちです。私たちからお礼を言わせてください。」
園児と先生と保護者の方々「ありがとうございましたーーー!!!」
そう言っていただき、胸いっぱいのまま私の絵本制作プロジェクトも幕を閉じました。
2016年9月から2017年3月に渡る、半年余り。
私の人生の中で最も浮き沈みの激しい期間でした。
「お別れは悲しいけど、明日には楽しいことが待っている。」
自分で書いた物語ですが、今では何かに書かされたような気さえします。
自分で書いたものに自分自身が励まされる。
何だか不思議な気分です。
そうそう、不思議な出来事と言えば、岳間地区出身の市議会議員の方から「岳間を盛り上げていただきありがとうございます」と日本酒をいただいたのですが、新潟の清酒であるその酒の銘柄がなんと亡くなった息子の小学校時代のあだ名でした。
日本酒の銘柄は1万5000種類以上とも言われています。
その中からピンポイントで私の手元にやってきたのです。
「父ちゃん。ようできとるばい。絵本完成おめでとう。」
まるで息子が祝福してくれているようでした。
こんな偶然あるでしょうか?
もちろんその市議会議員の方はそんなこと知るよしもありません。
陰で思わず涙ぐみ、その時なんだか解放された気がしました。
私の父親としての不甲斐なさ、それまでとってきた行動。
後悔してきた日々を全て洗い流してくれるような。
そんな大きなプレゼントでした。
「色々悔いていたが、息子のためにも自分にできることをしよう」
それからは前だけを向くようになりました。いつしか対向車線のバイクを見ても涙は出てこなくなり、1日1日を噛み締めて大切に生きています。それからは息子の部屋で生活し、息子が使っていたベットで眠る毎日です。
後日談として・・・
その年の11月に直腸がんが発覚し、手術することになるのですが、幸いにも腫瘍はギリギリ腸壁を突き破っていませんでした。タバコもたくさん吸い、長年にわたり食生活もひどかったにも関わらず、私の命の糸は繋がっていました。
この時も息子が守ってくれたのか、別の検査をしている時、偶然ガンが見つかったのです。
もしあの時発見できなければ私はもうこの世にいなかったかもしれません。
「私は生きているのではなく、生かされている」
そう確信し、
いただいた命、生かされた命をこれから先できるだけ人のために使おう
そう思って今の活動をしています。
幸いにも私のできる範囲のことでたくさんの人が喜んでいただけけるという状況になっています。
本当に感謝してもしきれないくらいありがたいことです。
閉園してしまった岳間保育園に捧げると同時に息子にも捧げたこの絵本。
「息子に読んで聞かせながら、自分が感動して泣いてしまいました。」
「明日からまた頑張ろうと思えました。」
「何だか自分の保育園を訪問したくなりました。」
「懐かしい気持ちになれました。」
「大岩守さんを実際に見てみたいです。」
など、ありがたいことにたくさんの反響をいただきました。
私自身がそうだったように、誰かの心を少しでも和らげることができたならこれほど嬉しいことはありません。あなたもその一人であればなお嬉しく思います。
改めて建山元園長先生を始め、全ての先生方、そして元気な園児たち、保護者の方々。そしてイラストを描いていただいた稗島孝一郎さん、製本に関してアドバイスをいただいた北原さん、制作をお手伝いいただいたpe-pa-workの中野さん、印刷いただいた株式会社 松本コロタイプ光芸社さま、本当にありがとうございました。
あなた方のおかげで、私の人生の中に素晴らしい1ページを描くことができました。
そして「大岩守さん」
あなたが岳間保育園にいてくれたからこそ全てがつながりました。
本当にありがとうございます。
最後に息子へ
天国で私の活動を見守っていてほしい。多くの人に喜んでもらい、この人生を必ず実りのあるものにします。お前の分まで精一杯生きるぞ。約束する。
絵本にたどり着くまでに思いのほか長くなってしまいましたが、きちんとこの下に絵本はございます。笑
よかったと思われましたら、周りの人に紹介していただけるとありがたく思います。
長々と書いてきたようにこの絵本には色々な人の思いが詰まっています。
そんな思いを少しでも感じながら読んでいただけると幸いです。
それではようやく絵本本編のはじまりはじまり〜。
どうぞお楽しみください。
いかがでしたでしょうか?
もしよかったと思われましたらシェアしていただけると幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。