【油断大敵】効率化を求めすぎると不幸せになりやすい

 

こんにちは 心笑庵(@shinsyoan777)です。

 

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1月中は自動車学校がいっぱいのため高齢者講習が受けれないと言われていたのですが、先日運よく空きが出たという連絡をもらい早速昨日行ってきました。

 

いや〜まさかこんなに早く更新できるとは思っていなかったので、嬉しい限り。

 

これも神社などにかめを設置しているご利益でしょうか?笑

というのは冗談ですが、無事ゴールド免許を取得することができました。

 

自動車学校の実技テストでも反応率なんかは30代から40代並みといういう結果が出まして、指導員の方からも丁寧な運転を褒められ気分よく帰ってきたところです。

 

今後自分で危ないかなと思ったら免許返納も考えなければいけませんが、まだまだしっかりしているようで安心して運転できます。(※とはいえ気を抜かずしっかり運転しなければいけませんね。)

 

 

さて私は昨年から自宅の敷地内で家庭菜園を始めました。

 

春くらいに野菜を植え、それからなんやかんやで20種類ほどの野菜を作ってきました。

 

作ってきた野菜の例:にら、ネギ、レタス、きゅうり、ミニトマト、トマト、オクラ、人参、大根、赤かぶ、ピーマン、ゴーヤ、かぼちゃ、枝豆、春菊、里芋、ジャガイモ、ナス、セロリ、小ネギ

 

 

 

いやはや我ながらよくこんなに作ったなと感心しています。
家庭菜園1年目にしてはちょっと欲張り過ぎましたかね。笑

 

しかしどれも初めてにしてはとても良くできてピーマンに至っては一体何個できただろうか(多分軽く500個以上)というほどできました。

 

土を入れ、しっかり耕し、肥料をたくさんやり、毎日畑に水をやりながら野菜の成長を見るのは楽しかった。

 

夏の暑い時期、さんさんと輝く太陽の下、額に汗をかきながらもこまめに水やりをするのはなかなか大変でしたが、少しずつ大きくなっている野菜たちを見ていると、何だか生命に対する畏敬の念とでもいうのでしょうか?そんなものを感じていました。

 

そしてできた野菜の美味しいこと。

 

「野菜ってこんなに美味しかったんだ⁉︎」

と長年スーパーを経営してきながらも改めて感じましたね。笑(お恥ずかしい限り)

 

採れたては水分量が多く、全てがみずみずしい。全ての野菜にハリがあります。
そして何よりも甘みがある。えぐみなんかこれっぽっちもありません。

 

直腸がんを経験してからは野菜をたくさん食べるようにはなっていたのですが、自分で作ったことで余計に野菜が好きになりました。

野菜は本当に最高で、毎日たくさんいただいています。

 

 

そこで今日のお話はこの経験から改めて感じたこと。

 

それは

「手間をかけた方が幸せは増える」

 

効率化を叫ばれる現代だからこそ見落としてしまいそうになることについて話していきたいと思います。

 

目次

飛躍的に発展した社会

 

いや〜本当に最近は便利な社会になりました。

昭和前半生まれの私が幼い頃からするともう全く別世界に来てしまったような感じもします。

 

車で走れば、道沿いには何軒ものコンビニ、大型スーパー、ディスカウントストア。

たとえ田舎に住んでいてもネット通販を使えば手に入らないものはないと言えるほど私たちの暮らしは変わりました。

 

昔なんかは行商人の人がそこらじゅうを回ってものを売っていましたからね。

今も移動スーパー見たいなものはありますけど、直接家々を回るなんてことはもはやないのではないでしょうか?

 

私もなかなか時代について行けていないことも多々ありますが、使いこなせていれば本当に便利。

最近では現金を使わないキャッシュレス文化も少しずつ広がっているようです。
(かくいう私も結構頻繁に使うようになりました。)

 

本当に効率的でありがたいなと思うことも多いのですが、代わりに何か大切なものを失っているのではないかと感じます。

それは端的にいうとありがたみです。

 

便利になりすぎるあまり、簡単に手に入るあまり感謝の気持ちをどこかに置き忘れがちになっていないでしょうか?

 

効率化の果てにあるもの

 

できるだけ労力を省いて結果を出す。

社会が発展していくためにはそれを追求していった方が良いというのは理解できます。

でもそれを追求していく過程で失われてしまうものがあるはずなんです。

 

近代に入りどんどん西洋化していく文化の中で合理化を追求するあまり、非効率なやり方が許されない風潮さえあります。

接客も最低限で支払いも各個人で行う。流作業的に買い物は済み、そこに人の温もりは感じられません。

 

昔ながらの

「最近はどうですか?」

「お久しぶりですけどお元気ですか?」

みたいなやりとりも見かけなくなりつつあり、何だか寂しい限り。

 

確かに機械的になった方が間違いはないでしょう。
ミスはできるだけ少ない方がいいというのも理解できます。

それを象徴しているかのように最近では人の失言やミスが見つかるとここぞとばかりに叩く傾向にあります。

 

間違いは絶対に許さない。徹底的に直さなければならない。

そんな空気感で溢れています。

 

そんな中、私は昨今の流れを見ていてこう思います。

 

人はもっと自由で、いい加減くらいがちょうどいいと。

 

たとえ失敗したとしても

「まあ、何とかなるだろう。」

くらいに考えていた方が心も病みにくいと思いますし、昨今のこれこそが正義であとは受け入れないという流れに非常に違和感を感じます。

 

多くの人は結果だけを見て全てを判断してしまう。

結果がよくなければそれは無駄だったと考えてしまう。

それって何か変だと思いませんか?

 

要は過程を想像しなくなっているということです。

最近ではメールやLINEが当たり前で電話もあまりしなくなっているようですね。
すぐに連絡を取れるという便利さと引き換えに、相手のことを想像する時間が減ってはいないでしょうか?

 

昔は手紙のやり取りの中で、相手を待つ時間がありました。
昔は携帯電話もないですし、相手の家に電話するときも親御さんが出たらどうしようというドキドキ感がありました。

 

そういった一つの行為の中にも手間があったからこそ余計に喜びも感じられた。

簡単に達成できなかったからこそ、達成できた時の幸福感は今より大きかった。

 

一見無駄だと思えた省かれた時間の中にこそ何か大切なものがあったのではないか?

 

私はそう感じられて仕方がありません。

もしかしたら私たちは効率化と便利さと引き換えに、幸せに気づきにくい体質になっているのかもしれませんね。

 

昔と比べると遥かに多くのものを所有しているはずなのにどこか物足りなさを感じてしまうのはそういった原因があるのではないでしょうか?

 

手間の中にこそ幸せがある

 

とはいえ昔に戻れと言っているのではありません。

今からわざわざ不便な生活を強いられると困ることもたくさん出てきますし。

 

有効なのは、ただ過程を想像すること。

それだけでもずいぶん違うと思います。

 

たとえばスーパーにずらりと並ぶ商品を見たときに、値段だけを確認しカゴに入れるのではなく、

 

「その商品が出来上がるまでにどんな人が関わり、どんな流通を通って今目の前にあるのか?」

 

ちょっと考えるとそこには多くの人の尽力があることがわかります。

 

ある一つの商品でもいきなりパッとできたのではなく、誰かがアイデアを出し、何度も会議を重ね、試行錯誤を繰り返しながら完成させ、それを工場で作り、運送会社の人がそのスーパーまで運んで、従業員がそこに並べる。

 

その商品がそこに置かれるまでの過程を想像し、いくつものバトンが受けつがれていることがわかれば自然とありがたいという気持ちが湧いてきます。そこに感謝が生まれます。

 

たとえ自分でそれを作っていなくとも手間を感じることでより価格以上の価値を見出すこともできるのです。

 

そこにはたくさんの人の思いが乗っているはずだから。

 

それを想像しながら手にするとまた違った感慨が湧いてきます。

 

簡単に手に入るからといって決して当たり前なんかじゃないんです。

 

 

昔コーヒのCM(ジョージアだったでしょうか)で

 

「世界は誰かの仕事でできている」

 

というコピーがありましたけど、本当にそう思います。

誰かが作ったからそこにある。

もともとそこにあったのではないのについつい私たちはそのことを忘れてしまいます。

 

決して当たり前なんかじゃない。

 

今回家庭菜園をしてみて、野菜1つが出来上がるまでの過程を感じながら食べるという経験し、そのことが改めてわかりました。

 

手間をかけた方が、手間を感じた方がより幸せを感じられる

 

もちろん効率化で無駄を省いていくことは大事なことだと思います。

でもたまには一見無駄だと思えることにも手を出してみる。そこで汗を流してみる。

 

もしかすると苦労するかもしれません。

やらなかった方がよかったと思うこともあるでしょう。

しかし、そうした経験により、人生はさらに豊かになっていくのではないでしょうか?

 

私はこれからもできるだけ手間をかけ、人生を凸凹を味わいながら暮らしていくつもりです。

今年も昨年の経験を活かし、家庭菜園を楽しんでいきたいと思います。

 

 

本日のまとめ

 

どんどん便利に効率的になっている現代。

それに乗ることがよしとされ、無駄なことはできるだけやるなという風潮はどこか窮屈さを感じてしまいます。

 

全ての場合において無駄を省くという考え方でしたら、その間の手間、そこに関わる人、それらを想像することができなくなっていきます。

そうするとありがたさという感謝の気持ちを持ちにくくなりますので、当然幸せを感じにくくなるでしょう。

 

何故なら幸せとはどれだけ周りにある感謝に気づけるかどうかでその大半が決まってしまうのですから。
物質的な豊かさをどれだけ手に入れても、心の豊かさを感じられなければそれは幸せとはいえませんもんね。

 

ですから私は思います。

手間をかけることは悪いことではない。手間の中にこそ幸せがあると。

 

そういう意味では、もしかしたら「楽」と「幸福」は完全に比例しないものなのかもしれないですね。

楽を追求すると、感謝は後ろに隠れてしまいますから。

 

手間の中にある感謝、これからもそれを見落とすことなくいきたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

その時には失ったと思えることでも後から振り返ると「あれがあったから今がある」と思えることばかりです。

仕事、仕事と歩んだ人生だったからこそ、今のありがたみが身にしみてわかります。

そんなことを書きました。↓↓↓

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私は長年経営していたスーパーをやめて、現在は創作活動をしながら地域を盛り上げるような活動を行っています。


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幼い頃の貧乏生活、若い頃の度重なる挫折、何度病院に通ったかわからないほどの病の連続、そして我が子の死。

思い返せば苦しい時期の方がはるかに長かった。

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この記事を書いた人

心笑庵 a.k.a 野中 哲雄(のなか てつを)

頭はこんな感じですが、坊さんではありません(笑)。

心笑庵という肩書きで創作活動をやっています。
2019年まではスーパーを経営しておりました。現在は創作活動を通して地域を盛り上げるために活動しています。

このブログでは私の現在の活動、そして紆余曲折の人生で学んだ人生の知恵をお伝えしていけたらなと考えております。

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