人を許すという行為を改めて考えさせられた。

 

こんにちは 心笑庵(@shinsyoan777)です。

 

昨日は携帯を紛失したかと思い、
冷や汗をかきました。苦笑

 

 

何かといいますと
昨日は近所のお寺で定期的に行われている
子ども塾(子供に昔の遊びを教えたりするイベント)に参加していたのですが

 

 

ふと気づくと携帯がありません。

 

ズボンのポケットや車の中をいくら探しても見つからないのです。

 

「あちゃ〜どこかに落としたかな」

 

そう思い、人の携帯から私の番号にかけてもらうのですが
なんの音も聞こえてきません。

 

「もしかしたら・・・」

 

と午前中石を拾いに行った河川敷なども探したのですが
全く見つからず、

 

「あ〜また買い直しか・・・」

 

と落ち込んでいたところ
自宅の風呂場の洗面所で鳴っている携帯を発見!

 

 

ホッとすると同時に何度も同じことを繰り返す
自分のダメさ加減にちょっとうんざりします。苦笑

 

携帯をどこかに置き忘れるというのは
もう数十回繰り返していることでその度に冷や汗が止まらないので

首にかけるストラップを利用していたのですが
最近は油断しておりました。

 

 

またそれを使い始めた方がいいかもしれませんね。

 

 

 

さて今日は、
先日公式ラインで繋がりをいただいた方にご紹介いただき
深く感銘を受けたお話をご紹介したいと思います。

 

このお話を聞いた時
世の中には達観した視点をお持ちの方が実際におられるのだなと
その解釈力に感服いたしました。

 

どうでしょう?

私はもちろんのこと
100人いてもおそらく1人もそんな考え方はできないのではないか
そんな風に思います。

 

この話を聞いてあなたはどう思われるか。

ぜひ感想をお聞かせ願えるとありがたく思います。

 

目次

塩見志満子さんという方

 

ご紹介いただいたのは塩見志満子さんという方で
愛媛県で「のらねこ学かん」という
知的障碍者のための通所施設を運営されています。

 

その方の人生というのが試練に次ぐ試練の連続で
まさに壮絶といえるものですが、
その時にとられた行動がなんともいえないもの。

 

人間とはそんな状況にあってそんな行動が取れるのか?
と一見信じられないものなのです。

 

以下がそのお話。

 

ー白血病で失った長男ー

──そこから学かんの立ち上げまではどのように進むのですか。

〈塩見〉
一つのきっかけとなったのは私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で失ったことです。白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。そうすると痛みが少し和らぐ。それを繰り返すわけですよ。ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、そんなこと言う子じゃないんですが「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。主治医の先生は30代のとても立派な方で「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。長男はその2か月半後に亡くなりました。

49日が済んだ後、主人と2人、お世話をかけたその主治医の先生に御礼を言うために病院に行きました。ところが、いらっしゃらないんです。聞いてみたら、長男が死んだ後、「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」とすぐにその病院を辞められたと。私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後、小児がんの権威となり日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。

──そうでしたか。

〈塩見〉
長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。

-「この子は心臓麻痺で 死んだことにしとこうや」-

〈塩見〉
近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。

「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや。

うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで許したんです。友達も学校も……。

──普通の人にはできないことだと思います。

〈塩見〉
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる……。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです。30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町にはできなかった。心からそう思います。

致知出版社HPより引用

 

人を許すということ

 

もし私が同じ立場なら・・・
とてもそんなことはできないでしょう。

 

きっとその子供を見つけ出し
その親御さんを責めてしまう。

 

「どんな教育をしているんだ!」

「あんたたちの子供のせいで・・・」

 

ときっと恨んでしまう。

 

そんなことをしても息子は戻ってきません。

でもほとんどの人がそうしてしまうと思います。

 

 

昔そんな夢を見たこともありました。

それは私が車を運転しているときトラックが突っ込んできて
家族全員を交通事故で亡くしてしまう夢でした。

 

私は泣き叫び
相手に馬乗りになり徹底的に攻撃していました。

思いっきり相手に怒りをぶつけていました。

 

夢の中ではありましたが
その時の感情は今でも強く残っています。

実際に自らの一番大事なものを奪われた苦しみ
それは想像を絶するものだと思います。

 

けれど自分のやるせない悲しみや怒りを
一時的に誰かにぶつけたところで何も変わりません。

 

失ったものが手元に戻ってくるわけではありません。

抵抗できない相手を苦しめる行為は
自分自身を余計虚しくするだけです。

 

塩見さんの旦那さんはそのことを深く理解されていたのでしょう。

犯人探しをして、それを追求することが最終的には
自分の何の得にもならないことがわかっていた。

 

 

だから許すという勇気を選択できた。

 

なかなか真似できることではありませんが
そのおかげで塩見さんもおっしゃっているように
人が救われ、優しい人ををうむことができた。

 

自らが失ったものが大きければ大きいほど
後から人に与えられるものは大きくなるのかもしれません。

 

苦しみの連鎖を止める

 

人の業やカルマと呼ばれるものは
それを解消しない限り永遠に繰り返すと聞きます。

 

それは憎しみも然りで
戦争しかり 身近なところでは夫婦喧嘩しかり

どこかで連鎖を断ち切らない限り
争いを生み続ける。

 

永遠にその想いに囚われます。

 

たとえ自分の思いを吐き出し伝えたとしても
憎しみ苦しみはどんどん広がっていくばかり。

 

 

もうこれ以上苦しみのバトンパスをしない。

自分が許せば誰かが救われる。

 

 

それに気づいた人こそが本当の意味で人を救える。

 

突き詰めるとどこまでも利他の意識なのかもしれません。

 

許すという行為は
自らが損をする行為ではなく誰かを助ける行為

 

そう考えることができたのなら
もっと寛容な人間になっていけそうな気がします。

 

 

最後に改めて感じたこと

 

今回塩見さんのお話をご紹介いただき

人を許すということを改めて考えさせられました。

 

それもご家族を亡くすという
人生においてもっと辛いであろう場面において
それを実行された塩見さんの行動には驚きと感動を覚えました。

 

普段の生活の中では決して見聞きすることはないであろうことが
世の中では起こっていうということに改めて気づかされました。

 

人との比較をするものではないですが、
今自分が置かれている状況が
どれだけ恵まれたものであるかも感じ取ることができました。

 

やはり深く傷つく出来事を経験されたエピソードというのは
人の心を打ちますね。

大変な気づきを与えていただいたと思います。

 

今ある幸せを噛み締めながら
私もより人を許せる人間にならねばなと感じた一時でした。

 

しかし世の中には色々な人がいらっしゃいますね。
自らの苦しみを誰かの勇気に変換される活動。

 

私も微力ながらそうありたいと思います。

 

今日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

 

自分のありのままを認めるというのはなかなか難しいことだと思いますが
それができるようになれば得られるもの大きいと思います。

そんなことについて書きました。

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私は長年経営していたスーパーをやめて、現在は創作活動をしながら地域を盛り上げるような活動を行っています。


これまで本当に山あり谷ありの人生を送ってきて、決して順風満帆ではありませんでした。


幼い頃の貧乏生活、若い頃の度重なる挫折、何度病院に通ったかわからないほどの病の連続、そして我が子の死。

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この記事を書いた人

心笑庵 a.k.a 野中 哲雄(のなか てつを)

頭はこんな感じですが、坊さんではありません(笑)。

心笑庵という肩書きで創作活動をやっています。
2019年まではスーパーを経営しておりました。現在は創作活動を通して地域を盛り上げるために活動しています。

このブログでは私の現在の活動、そして紆余曲折の人生で学んだ人生の知恵をお伝えしていけたらなと考えております。

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