深く傷ついた人を励ますために必要なものとは。

 

こんにちは 心笑庵(@shinsyoan777)です。

 

気持ちのいい日差しが降り注ぐ中

今日もこちらのかめを一つ設置してきました。

 

 

風が強くて車に積み込むのを多少手こずりましたよ。笑

 

こうして色々な場所にかめを設置していると
道ゆく人が気にしてくれるようになり

 

郵便配達の方、農協の職員さんや
営業でこの辺りを回られている方なんかも
わざわざ自宅に訪ねてこられて

 

「よか言葉が書いてあったんで気になって寄ってみました!」

 

とお声がけいただけるようになり
なんとも嬉しい限りです。

 

そうそう
最近では小鳥も私が作業している周りを行ったりきたり
人だけでなく動物にも好かれ始めているのでしょうか^ ^

 

 

地道な活動がいつしか大きな波となり
鹿北全体を盛り上げていけるようなものになるよう
コツコツと励みたいと思います^ ^

 

 

さて今日はふと思うことがあり
そのことを書いてみようかと思います。

 

何かと言いますと人生における恩人の話です。

 

話の結論としては

 

「人生における恩人とは自らを引き上げてくれる人ばかりではない。
寄り添ってくれる人もまた恩人である。」

 

ということです。

 

私の人生にはたくさんの恩人となる方がいます。
どなたも素晴らしい人でそのたちのおかげで今の私があります。

 

大きな影響を受けた方
貴重な学びをいただいた方
色々な意味で助けていただいた方

 

 

人生の岐路に立った時も
その方達のおかげで前に進むことができました。

 

 

目次

恩人とは自分を引き上げてくれる人?

 

 

これまでの人生70年。

 

各地を転々とする中で幾多の人と出会ったでしょう。

 

考えるだけでも気が遠くなるような数の人と顔を合わせてきました。

 

若い頃レンタカーを借り、徹夜で遊び明かした友人たち
三菱重工でお世話になった先輩方
苦しかった東京での営業時代励ましてくれた同僚
魚屋としてともに切磋琢磨した親友
市場関係で出会った愉快な同業者たち

 

そのどれもが今ではかけがえのない思い出です。

 

そんな中私の人生でターニングポイントとなる大きな出会いは

 

東京で働いていた消火器販売会社の社長
そして熊本に帰ってきてからは一緒にスーパーを経営した叔父叔母でしょうか。

 

社長からは商売のなんたるかを学ばさせていただきましたし
叔父叔母に関しては、私の人生の軸となる商店で苦楽をともにし
今では養子に入り親子の関係となりました。

 

他にもたくさんの方にお世話になりましたが
私を引き上げてくれたという意味においては特にそうです。

 

恩人といえば大抵
そんな風に自分を次のステージに連れて行ってくれた人
という解釈をする人が多いと思います。

 

つまりその時の自分よりもすごい人
というような思いがそこにはある。

 

 

私もそうでした。

 

面倒を見てくれた先輩。
自分が知らない世界の色々なことを教えてくれた人。
全く新しい視点で物事を考える人。

 

 

つまり尊敬できる人ということです。
恩人=尊敬できる人。

 

そんな公式が頭の中にはあった。

 

でもある時、それだけではないんだなということに気がつきました。
何かを授けてくれる人以外にも人は救われることがある。

 

そんなハッとする体験をしたのです。

 

 

家族崩壊の危機

 

それは息子が亡くなった時。

 

私たち家族は絶望の海に叩き落とされました。

 

それは突然訪れ、全てを飲み込み
あれよあれよという間に私たちを沖へ誘います。

 

顔を上げようとしても
海面は遠く、どこまでも深く沈んでいくような感覚。

 

こんな時これまでの経験は全く役に立ちませんね。

何故なら比較できるような経験なんて
それまでの人生の中でありませんから。

 

 

悲しみと混乱。

自責の念から自分自身を保つこと
それだけで精一杯。

 

油断すると何もかもが壊れてしまいそうでした。

 

 

私も自分の人生を信じられなくなり

妻も自宅で塞ぎ込み

他の子供たちも何もできなかった自分を責め

あの時点で家族がバラバラになってもおかしくなかった。

 

それぞれが人生最大の岐路に。

 

 

自死遺族の中には
立ち直れなくて精神を病んでしまう人もいると聞きます。

 

妻の場合も下手したらそうなりかけていた。

 

元来、世間体を気にする性格で
なんでもおおっぴらに話す性格ではなかったため

 

その傷は癒える兆しが見えず

 

食事もまともに喉を通らず
10kgほど体重も落ち
思い出しては泣きを繰り返しました。

 

 

私もどうしていいかわかりません。

 

大抵のことならば冗談で笑い飛ばせる性格なのに
この時ばかりはどうしようもない。

 

妻に対して軽々しく元気を出せとも言えません。

 

何を隠そう
私自身も深く傷ついていたから。

 

「何もできなかった」

 

不甲斐ない親としての責任を感じ

たとえ何か言ったとしても
口から出るどんな言葉も上滑りしそうでした。

 

妻を元気づけたい気持ちはあるのに
どうしようもない。

 

まさに時間に全てを委ねるしか
選択肢は残されていないかのように思えました。

 

 

しかし、恩人は突然に
それも思わぬところから出てきてくれたのです。

 

人生の恩人は思わぬところにいた

 

それはたまたま。

 

なんの因果か

妻が普段行く美容室とは違う場所に行った時のこと。

 

そこは同じように子供さんを早くに亡くされた方が
経営される美容室。

 

誰にも会わず自宅で塞ぎ込んでいたため久々の外出。

 

 

それが妻の人生の転機となりました。

 

自宅からわずか数分の場所に運命を変えるような恩人がいたのです。

 

 

「大変だったね」

 

そう言葉を発し、あとは何を聞くでもなく
髪を切りながら一緒に泣いてくれたそう。

 

深く語らなくとも全てを理解するようなその姿勢。
同じような苦しみを味わったものだけがわかる感覚。

 

ただ寄り添うという行為。

 

支えるとも引き上げるとも違う
ただそれだけの行為で妻は救われました。

 

 

同じような境遇の方が一緒に泣いてくれた。
言葉を超えたもので包まれたのでしょう。

 

 

ただそれだけで。

 

固く閉じていた
暗い暗い妻の心に光が差したのです。

 

 

私は普段できるだけ前向きな言葉を紡ぎ
人の心を明るくすることを心がけています。

 

だけどあまりに深く傷ついた時には
言葉だけではどうしようもない場合もある。

 

いくらいいことを聞いても
埋まることのない穴を埋めるのは
もはや行為ではないのかもしれません。

 

 

私は妻を励ますための言葉をなんとか探そうとしていましたが
結局そんなことでは埋めることはできなかった。

 

だけど一緒に泣いてくれた
その方のおかげで妻は救われた。

そして私も救われたのです。

 

 

何かをしてあげなくとも人は救われる時もある

 

人が落ち込んだり傷ついいているとき

 

「何もできない」

「励ましの言葉が思いつかない」

 

そう感じることもあると思います。
そんな時はどうしても距離を取ってしまいがち。

 

実際身内を亡くした人には
なんと声をかけてあげればいいかわかりませんもんね。

 

(周りから見れば私たちの場合もそうだったでしょう。)

 

 

でもなんとか助けたい
力になりたい

 

そう思うのなら特別なことはせず
ただ寄り添ってあげる

それだけでも人は救われることがあるんです。

 

特別な言葉なんていらない
気の利いたアドバイスなんていらない

 

これは新しい発見でした。

 

何もせずただ一緒にいてあげることが
こんなに心を癒してくれるなんて。

 

 

私はそれまで自分に何かを与えてくれる人
新しい世界へ連れて行ってくれる人が恩人なんだと考えていましたが

ただそばに寄り添ってくれる人も
よくよく考えれば恩人なんだなということに気がつきました。

 

当たり前すぎてついつい忘れてしまいがちですが
普段誰かがいてくれるというのはそれだけで実はすごく救われている。

 

気がつかないだけで
身近にいる人たちは全て恩人だと思えるようになりました。

 

私が何かをして喜んでくれる
私が何か冗談を言って笑ってくれる

 

そんな些細なことでも私は救われていたのです。
好意的な反応をしてくれる人の存在がいつの間にか私を元気にし

 

もう一度自分の人生としっかり向き合おう

 

そう思わせてくれたのです。

 

 

深い悲しみはその人にしかわからない場合があります。
やはり経験しないと当事者でないと本当の気持ちはわかりません。

共感はなかなか難しいでしょう。

 

だからと言って助けになれないかというと
そうではないと思います。

 

 

特別なことをしなくとも
そばにいるだけで救える。

 

 

だからこそ1人で悩まないで欲しいのです。

 

人に相談しても解決はできないかもしない

けど誰かがいる

1人じゃない

そう思えることで希望は失わないで済むこともあります。

 

私の妻がそうだった様に。

 

 

自分を引き上げてくれる存在だけが恩人なのではなく
自分を支えてくれる存在だけが恩人なのではなく

ただそばにいてくれる存在も恩人となり得ることがあるんだ

 

そんなこともあるということを頭の片隅にでも置いておいてください。

 

私もいつもそばにいてくれる人の
寄り添ってくれる人の本当のありがたさを忘れないようにしたいと思います。

 

 

たまに言い合いになって喧嘩してしまうけど
いつもともにいてくれる妻に感謝し

 

今日は筆を置きたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

息子に対する思いはこちらに書きました。

誰かの救いや生きる勇気になればと思います。

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思い返せば苦しい時期の方がはるかに長かった。

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この記事を書いた人

心笑庵 a.k.a 野中 哲雄(のなか てつを)

頭はこんな感じですが、坊さんではありません(笑)。

心笑庵という肩書きで創作活動をやっています。
2019年まではスーパーを経営しておりました。現在は創作活動を通して地域を盛り上げるために活動しています。

このブログでは私の現在の活動、そして紆余曲折の人生で学んだ人生の知恵をお伝えしていけたらなと考えております。

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