【息子の話】いくら後悔しても消えない寂しさ

 

こんにちは 心笑庵(@shinsyoan777)です。

 

今年も残すところあと5日。

 

師走というように12月はやはり早くすぎますね。店舗の片付けをしながらバタバタしていた昨年がついこの前のようです。

 

さて今年は運命的にライフワークを発見することができ、第二の人生が始まりました。ですから2020年は私にとってある意味転機となる1年だったように思います。(今年に限っては多くの人にとってそうですね。)

 

昨日も出来上がったかめを2箇所に設置して来ました。

このかめは結構BIGサイズです。

 

弁財天さんに設置

 

ありがたいことに近所の左官さんが、かめを土台に固定するのを手伝ってくださいました。
初めは自分でセメントをこねて固定しようと考えていたのですが、素人が手を出さなくて本当によかった。笑

 

ささっと手早くコテを使いながら塗られていくセメントは真っ直ぐ平らで、もともとそうであったかのように非常に美しく、かめがさらに映える土台が出来上がりました。

 

やはりプロの仕事は違いますね。

 

「これくらいなんてことはないけん。ボランティアでよかよ。」

 

と言っていただいたのですが、そんなわけにもいかず、先日作ったしめさばと焼酎を差し上げたところ

 

「うわ〜そやん仕事しとらんとに。」

 

と恐縮されていましたが、最後は笑顔で受け取っていただきました。

 

私にとっては手伝っていただき本当に助かったので、これくらいするのが当然です。そういうやりとりができたので、昨日も寒かったですけどなんだか暖かい気持ちになれました。

 

自分では大したことでないと思っていることも、他の人にとってはありがたいことという場合もあります。人には何かしらの特技があって、そのありがたさは自分ではなかなか気づけません。私も魚屋でしたので、たまに人の魚を捌いてやるんですけど、とても喜ばれます。

 

私にとってはなんてことないことなんですけどね。

 

でもそんなものです。

 

「私なんて・・・」

 

と自信がない人もいますけど、最終的には自分ができることで人の役に立てばいいんだと思います。少なくとも私は私にできることしかやってません。そのときできることを精一杯やっていたら今の場所に辿り着きました。

 

人生あまりややこしく考えすぎないで、それくらいでいいんだと思います。

 

 

 

さて今日は息子のことでも書いてみようと思います。
何度も書いているように私の次男は数年前自死で亡くなりました。

 

もうだいぶ時間は経っているのですが、心の奥底にはいつも息子に対する思いがあります。その思いは複雑でとても一言で「こうだ」と言い切ることはできません。

 

それは私の人生の中でもっとも大きな出来事。私は今年70であとどれくらい生きるかわかりませんが、今後何が起きようともそれを超える出来事に会うことはないでしょう。

 

できれば一生こんな思いは味わいたくなかった。

けど起こってしまったことは事実です。もう変えることはできません。

 

 

本当はこういった思いは自分の中だけにしまっておくものかもしれませんが、もしかしたら今悩んでいる方の役立つかもしれませんので、今日は話していきたいと思います。

 

 

というわけで今日の一言は

「息子へ 心の片隅で まだごめんなと呟いている 母さんに分からない所で ひとり呟いている 母さんに知られたら また母さんも泣いてしまうから ひとり心で泣いている 強いふりしてもやっぱり寂しい 死ぬまで続くかこの想い」

心の中の寂しさはいつまでも消えることはありません。

 

目次

壁を作ってしまったのは私だった

 

小さい頃の息子は、ひょうきんな性格で、人懐っこくて、ちょろちょろと一時もじっとしておらず、知らない人の後をついていくほど好奇心旺盛でした。

 

しかし成長するにつれ遠慮がちで、引っ込み事案になっていきました。
なんでも器用にできるのにどこか自信なさげで、でもそれを悟られまいと仮面をかぶってしまったみたい。

 

京都や大阪で就職していたこともあり、いい加減な私とは違い、社会人とはこうあるべきという型にはまっているようでした。

 

性格はというとまっすぐで曲がったことが大嫌い、それは真面目すぎるくらい真面目でして。人には非常に丁寧に応対し、飼い猫が病気のときなんて付き添いながら涙を浮かべていたくらい心優しい性格。

 

素直な性格のはずなのに、家族に対してはどこか壁を感じました。
〜すべきという考え方が強すぎて、何度もぶつかり、近くにいるのにどことなく遠い存在。

 

いえ、違います。今思えば私の方が壁を作っていたのかもしれません。

私は外向きには愛想良くできるのに家族に向けてはいまいち心を開けていなかった様に思います。

 

いやきっとそうです。

 

みんなそうかもしれませんが、どこかで強い父親を演じてしまっていました。情けないミスをしてもバカ話にして笑い飛ばす性格のため、しっかりと向き合えない。自分の本当に弱い部分を自分で直視できない。

 

だからいつからか同じ目線に立って寄り添うことができなくなっていた。自分の価値観だけで物事を考えてしまっていたんです。

 

「そんなこと考えるだけ無駄。もっと気楽にいけ。」

と悩んでいる息子に対して一方的に自分の価値観を押し付けてしまった。相手にも別の価値観があるというのに。

 

息子を理解しようとしなかった。

私はある意味逃げたんです。息子と向き合うことから。

 

だから最後まで自分の思いが息子に届くことはなかった。

 

あれはコスモスが綺麗な時期。冷え込みが厳しい朝。見上げるとそこには自分の心とは正反対に澄み切った青空がありました。

そんな冬の足音が聞こえてきそうな秋晴れの日。

 

お互い壁を作ったまま別れることになったのです。

 

息子が亡くなってから思うこと

 

 

息子が亡くなって思うことは、やはり自分が変わるべきだったなということ。いつまでも息子を子供扱いしていました。

 

息子はいつの間にか一人の人間として自分なりの価値観を構築していたんです。私なんかよりもずっと物事を深く考えていた。

 

そのことに長々と書かれた遺書を見て気付かされました。ですが時すでに遅し。

 

「こんなに立派な文章が書けるようになっていたとは。」

 

自分自身の状態、自分の内面、昔から感じてきた思いを色々な角度から分析してあり、さながらそれは息子の物語。遺書を褒めるのはおかしなことかもしれませんが、その自己分析は本当に見事でした。

 

私は息子ほど自分自身を深く分析したことはありません。いや、あんな風にはできません。

 

息子は息子なりに考え、悩み、なんとかよくなろうと、成長しようと頑張っていたはずなのに、どこかその成長を認めてやれていなかったのかもしれません。何よりも私には息子にぶつかっていく勇気がなかった。

 

息子の気持ちが、本心がわからないなら分かろうとすればよかったんです。

意見がぶつかるなら、気の済むまでぶつければよかった。

 

ただそれだけ。

ただそれだけができなかった。お互いが納得するまで話せばよかったはずなのに。

 

一生懸命働いて家族を守ってきたつもりでしたが、私は親になりきれていなかったのかもしれないですね。

もう少し家族と本音で向き合うべきでした。

 

自分が考える強い父親像なんか本当はどうでもよくて、どんな形であれ、ただただ息子には生きていて欲しかった。もっと人生を楽しんで欲しかった。

 

幼い頃は当たり前に感じていた我が子への愛おしさ。
成長するにつれ、それはいつしか当たり前になり、反発する中で距離をおき、いつしか別の場所に置いてきてしまったような気がします。

 

けれど今再びそれ感じます。

失いて知る我が子の愛おしさ。

これまでその笑顔にどれだけ生きる勇気をもらってきたでしょう?
幼い我が子の成長がどれほど楽しみだったか。

 

これまで色々な喜びを私たち夫婦にに与えてくれた息子に申し訳ないと思いながらも感謝しています。

 

でもできることなら

「もう一度だけでも話したい」

「もう一度声だけでも聞きたい」

そう思ってしまうのが正直なところです。

しかし、どんなに求めても話すことはできません。

息子の声は聞こえてきません。

 

じっくり話し合い、相手を理解しようとすればもしかしたら結果は変わっていたかも・・・。

・・・いまさらたらればを考えてもしょうがありませんね。

 

ただただ悲しい。いくら時間が経ったとしても悲しさは心の底にあります。寂しさは何度でも襲ってきます。当たり前ですけど埋まることのない穴が心にあいたような感じです。

 

ただただ申し訳ない。
寄り添えなくて申し訳ない。

越えようとしても最後まで超えることができなかった息子との間の壁。
後悔は消えることはありません。

 

多分この穴は一生埋まらないと思います。

 

息子に対して恥ずかしくない生き方を

 

 

遺書には家族一人一人に対する言葉がありました。

私に対しては、反発もあったけど本当はすごいと思っていた。尊敬もしている。でも素直になれなかった。自分にとっては超えられそうにない高い壁だと。

 

その言葉を見て涙が止まりませんでした。

 

「私はお前が思っているような立派な人間ではない。しっかりと向き合うこともできなかったし、理解しようと寄り添えなかった。能力的にも特別なことはないしお前なら簡単に超えられるよ。ひとまたぎで超えていける。」

 

そんな風に私のことを見てくれていたと知り、余計に自分が情けなくて。
私が勇気さえ出していれば、やっぱりどうにかなったんじゃないかとさえ思えました。

 

壁を感じながらも息子は父親として自分のことを見てくれていた。理想の父親を演じ切ることはできなかったけども、ある部分では認めてくれていた。

 

十分息子には伝わっていた。あとは私の方ももう少し素直になればよかったんです。

いなくなってしまった息子に対して、もう父親として振る舞うことはできません。どんなに頑張っても永遠に叶いません。

 

ならば少なくとも人として恥ずかしい生き方はできない。そういう風に感じました。

 

本来ならば親やご先祖さまに恥ずかしくない生き方をと思うものでしょうが、私の場合もちろんご先祖さまにという気持ちはあるものの、息子に対してという思いの方が強いです。

 

自分も楽しみながら、人とのご縁を大切にし、自分のできることで人の役に立つ。理想の父親は演じきれなかったけれど、私がいいと思える理想の生き方、人のために生きる姿を天国の息子に見せたい。

 

そうやって精一杯生きている姿を見せることが、私にとっての息子に対する向き合い方。生きているときは向き合えなかった分、私が死ぬ時までそうやって向き合っていこうと決めました。

 

子供を亡くした親の元には想像を絶するような苦しみ/悲しみが襲ってきます。この苦しみ/悲しみを完全に癒すものはこの世にないでしょう。でも親がいつまでも苦しんでいる、悲しんでいる姿を子供は見たくないと思います。

だからこそ私は前を向くと決めました。

 

息子に対して恥ずかしい生き方だけはしたくない!

これが私を支えている想いです。

 

そして私が亡くなってあの世に行ったとき

息子から

 

「上からみよったけどすごかったね。お父さんはやっぱりすごい。」

「お父さんの息子に生まれてこれてよかったよ。」

 

そんな風に言ってもらえるかはわかりませんが、そう言ってもらえるよう残りの人生を歩んでいきたいと思います。

再び息子に会うときには、

 

「ごめんな。」

「自分ができることは残らずやったぞ。」

そう言いたいですね。

 

改めて今日の一言

 

最後にもう一度今日の一言

「息子へ 心の片隅で まだごめんなと呟いている 母さんに分からない所で ひとり呟いている 母さんに知られたら また母さんも泣いてしまうから ひとり心で泣いている 強いふりしてもやっぱり寂しい 死ぬまで続くかこの想い」

 

親にしろ子供にしろ、いつ突然の別れがあるかわかりません。私の場合、息子に言いたいことはまだ山ほどあったのですが、それももう叶わない状況です。いくら後悔してもそれは叶いません。

 

ならばまだお互い生きているうちに、本当の気持ちを伝えてみてはどうでしょうか?できなかった私がいうのも変ですが、一言本心をいうだけでも何かが変わるかもしれません。

当たり前に言葉を掛け合えるというのは、実はとても貴重なことなのです。

すれ違ったまま、離れていくことほど悲しいことはありませんよね?

 

私みたいにやりきれない後悔にのまれる人が少しでも減ることを願ってやみません。

あなたにも想いを伝えたい人はいますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

※数年前、地元保育園の閉園記念に絵本を作りました。

息子への想いも込めた絵本は以下でお読みいただけます。↓↓↓

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私は長年経営していたスーパーをやめて、現在は創作活動をしながら地域を盛り上げるような活動を行っています。


これまで本当に山あり谷ありの人生を送ってきて、決して順風満帆ではありませんでした。


幼い頃の貧乏生活、若い頃の度重なる挫折、何度病院に通ったかわからないほどの病の連続、そして我が子の死。

思い返せば苦しい時期の方がはるかに長かった。

心が折れそうになったことは数知れません。


けれどいつも笑顔とユーモアを持ち続けてきた結果、今では自分のやりたいことで周りの人に喜ばれるような活動ができています。


こんな風な人生になれたのも人のためという気持ちを忘れなかったからだと感じます。

ここまで生きて来れて本当によかった。


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この記事を書いた人

心笑庵 a.k.a 野中 哲雄(のなか てつを)

頭はこんな感じですが、坊さんではありません(笑)。

心笑庵という肩書きで創作活動をやっています。
2019年まではスーパーを経営しておりました。現在は創作活動を通して地域を盛り上げるために活動しています。

このブログでは私の現在の活動、そして紆余曲折の人生で学んだ人生の知恵をお伝えしていけたらなと考えております。

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