こんにちは 心笑庵(@shinsyoan777)です。
本日は朝から雨。
パラパラという音で目が覚めました。
もちろん晴れている方が好きなのですが
雨音というのは何だか癒されていいですね。
パラパラという心地よい音色は
「そんなに焦らずゆっくりいきなさい」
と語りかけているようで
どちらかというとせっかちな私を沈めてくれているよう。笑
走ってばかりだといずれ疲れてしまいますので
たまにはホッと一息つくのも大事だなと
何とも言えない安堵感を感じる朝でした。
そうして午前中はかめに書く文章を
パソコンに打ち込みながら
あ〜でもない こ〜でもないと思案。
そんなこんなしていると雨を止み
午後からは曇り空になりましたので
「洗車でもして気持ちをスッキリしよう!」
とガソリンスタンドに向かうことに。
洗車後ピカピカになった車を丁寧に
ふき上げます。
そうやって水滴をなくして
「よし!これで綺麗さっぱり気持ちも明るくなった!」
そう満足していたのですが
しばらくするとパラパラと音がします。
「ん?まさか!」
と思うまもなく再び雨が降り出しました。
空は青空。
雨が降る様子はないというのに。
「ああぁぁ・・・嘘でしょ⁉︎」
綺麗になったばかりの車が再度水滴まみれに。笑
朝、あんなに安堵感を与えてくれていた雨の存在がこの時ばかりはありがたく思えません。笑
「は〜ツイてないな」
と思いがっかりしていると遠くの方に虹が出ているではありませんか!
私は超前向きな性格ですので、一転
「これはいいことが起こる前兆に違いない!」
そう思い直し、すぐにいい気分に戻りました^ ^
いやはや我ながら単純な性格だなと思います。笑
今のところ特別良いことは起きていないので
明日何かあるのかもしれませんね^ ^
さてそんな話はさておき
昨日大分に住む叔母が亡くなったという知らせを受けました。
御年 101歳。
大大往生だと思います。
もちろん悲しいことではありますが、本心としては
「よ〜生きなさったな。長生きさして素晴らしい!」
あっぱれ!そんな気持ちであります。
100歳を超えるというのは
誰でもできることではありませんからね。
そこまで生きられれば何も思い残すことはないでしょう。
そして知らせと同時に1枚の写真が
従兄弟からメールで送られてきました。
その写真を眺めていると
叔母が歩んできた時代について色々考えが巡ります。
今日はそのことについて書いていきますね。
今日の一言
「時代の流れに置き忘れてきたもの。それを見直すことが未来への光となる」
今の時代に何が必要なのか?
皆さんも考えてみてください。
叔父叔母が駆け抜けた時代
従兄弟が送ってきた写真というのがこちら。
叔母と叔父兄弟
左から叔父9歳、叔母17歳、叔父5歳
(椅子に座る叔父はすでにこの頃から貫禄十分。笑)
1936年。今から84年前の写真です。
なかなか良い写真ではないですか?
調べてみるとこの年は2.26事件があった年。
歴史が大きく動いていく前夜。
ここから日本は激動の第二次世界大戦へと突入していくわけです。
多くの犠牲者を出し、原爆の投下という恐ろしい出来事で
それは終わりになるのですが、
叔母も叔父たちも
そんな時代を生きてこられたのだなと考えると何とも言えない気持ちになります。
あの激動の時代を乗り越えてこられた人たち。
亡くなった私の父もそうです。
戦地に赴き、いつ死んでもおかしくない状況という
今では考えられない環境の中をくぐり抜けて戻ってこれたからこそ
私は今こうして生きていられるのです。
普段何気ない生活をしていると忘れてしまいそうになりますが
そんな時代が確実にあり、私より上の人たちは
そこを越えてこられているということを考えると
尊敬以外の何ものでもないですね。
今は平和そのもので
戦争のことなんか
みんな考えもしないしょう。
車を走らせれば大抵の場所にはコンビニやスーパー、
大型店が立ち並びどこもかしこも同じような風景。
道路を戦車が走ることもありませんし
兵隊さんの姿もありません。
街中を歩いても
戦争のせの字もない。
それはとても素晴らしいことですが
意識しないと戦争がどこか空想の出来事だと思ってしまいそう。
かくいう私も戦後の1950年生まれですので、
戦争体験者ではありませんが、
その頃はものすごく大変だったと聞いています。
満足に食べるものもなく
毎日芋ばかり食べていたとか。
それも今みたいに甘くて美味しい芋ではないですからね。
多分ボソボソした旨味の少ないものだったでしょう。
多くの先人たちが犠牲になり
「ここからどう復興していく?」
「これから日本はどうなるのだろう?」
という不安の中、皆が懸命に生き
今とは比較にならないくらい厳しい状況で
歯を食いしばりながら再生への道を歩んでいきました。
先人たちのそのような礎の上に
私たちの今の生活があるんだということを
忘れないようにしなければなりませんね。
今は本当に恵まれた時代です。
ありがたいことに
私もその恩恵を存分に受けております。
幼い頃から比べると
本当に便利な世の中になったと思います。
何でもあるし
遊びもたくさんあります。
求めれば大抵のものは手に入る。
その反面。
人々は大切なものを忘れているような気がします。
世の中を見渡すとそう思うことがあるのです。
時代の変遷を見て思うこと
それが何かと言いますと
人々の生きる力の低下です。
確かに今は平和で何でもあり
ものすごく満たされた時代です。
もちろん収入格差はあるでしょうが
基本的に生きていけないという状況ではありません。
求めればそれ相応のものが手に入る。
しかし、何かがおかしいなとも思います。
心を病んでしまう人が急増していたり
自死してしまう人も減ったといっても年間2万人もいます。
昨年からのコロナの影響で
その数も増えているとの報道も。
昔は鬱病なんて病名はありませんでしたが
周りに心を病んでしまう人は今ほど多くなかった。
昔の方がみんな貧しかったけど
その分生きる力は強かったような気がします。
何気ないことで喜べたし
ちょっとしたものでも美味しく感じていました。
例えば私が小さい頃は砂糖が高級品でしたので
甘いものが何よりも嬉しかった。
うちは貧乏でしたので
たまに訪れる祖父の家で出される和菓子を
「こんなに美味しい食べ物が世の中にはあるんだ!」
と目を輝かせて食べていたのを思い出します。
もちろん今世の中にあるものの方がはるかに味はいいですよ。
でもあの当時食べた食べ物の味は何と言いますか、
感動を伴っていたからでしょうか?
私の中で特別なものとして記憶されているのです。
他にも魚肉ソーセージの野菜炒めですとか
今考えるとそんなもので?と感じますが(笑)
その時は極上品に感じたのです。
あまりものがなかったからこそ
幸福に気づける瞬間が多かったんだと思います。
一つ一つの体験が特別な体験のように感じていました。
高度経済成長期も含め
日本全体が右肩上がりの変化を見せていたことも
関係しているのかもしれません。
みんなが希望を持ち
「この先には明るい未来が待っている!」
そんな雰囲気が昭和の後半は特に強かった。
今思えば大きな変化を感じる時代でしたね。
それに比べ現代は技術的な変化は大きいかと思いますが
何となく全体的に元気がない。
日本全体が自信を無くしている気がします。
失われた30年と言われているように
経済成長できていないことが要因なのでしょうか。
個々人も色々な悩みを抱えています。
インターネットが広がり隣の人の暮らしぶりが
より鮮明になってきたからでしょう。
人と比べて劣等感を感じやすく
なんとなく生きづらい世の中です。
そして多くの人が孤独を感じやすくなっている気がします。
情報が多すぎるせいかもしれませんが
人との比較が容易になった世界ではぶれない自分を保つことは
とても難しいことです。
だから無価値観を感じやすく
孤独を感じやすいのかもしれません。
世間では勝ち組負け組なんて言葉もありますが
はっきり言って
「人生に勝ち負けなんてない!」
「それぞれがそれぞれの価値観で生きていいんだ!」
と言ってやりたいです。
それでも
「私は大して人の役に立てていない」
「あの人と比べて劣っている」
「私は生きていても価値のない人間だ」
一旦そんな思い込みを持ってしまうと
なかなか抜け出すことが困難であることは
息子と接していて強く感じました。
簡単に気持ちの問題で片付かないところに
周りのサポートの難しさもあります。
私は今の発展が悪いと言っているのではありません。
実際、豊かになっていくのは素晴らしいことだと思います。
だけど、それと引き換えに本来大切にするべきことを
忘れてしまっているのでは?ということです。
それが減ったから
生きる力が低下しているのだと思います。
私たちが無くしてしまっているもの
それは一体なんでしょうか?
人との繋がりこそが一番重要
この時代に減り、昔にあったものは何か?を考えてみたところ
それはやはり人との結びつきかなと思います。
もちろんオンライン上での関係は広がっていますけど
それとリアルな結びつきはまた別物だと思います。
昔はおじいちゃんおばあちゃんを含めた拡大家族が基本でしたし
ご近所含め地域が子供を育てる文化が当たり前にありました。
けれど今はどうでしょうか?
人の子供に声を掛ければ
「余計なことをしないでください」
と言われるような世の中です。
私もおしゃべりですが
流石に人の家の子供を叱るなんてことは
さっとできかねます。
こうなっては人間関係は
どうしてもギクシャクしてしまいます。
「相手になんと思われるだろう」
と気になり気軽に声をかけられません。
もちろん人との結びつきが強くなれば
面倒なこともあります。
その分しがらみや面倒な人付き合いは増えます。
けれども何かあった時に
孤独にひとり落ち込むことは減るでしょう。
「なんか今日は元気ないね。どやんかした?」
そう一言声をかけてもらえるだけで
人は救われることもあります。
何も言わずともそばにいてくれるだけで
話を聞いてくれるだけで
心が解放されることだってあります。
逆にそういったしがらみを嫌がり人間関係の薄い場所に行けば、
その分煩わしさは減るでしょう。
普段の生活で余計なことを考えない分
楽に感じるかもしれません。
自由かもしれません。
ですが何かあった時それを分かち合う人が身近にいない
数人との関係が途切れればすぐに孤独なってしまう状況で
幸せに生きるなんて私には無理です。
私自身若い頃は東京で生活をしていましたが
それはそれは寂しかった。
もちろん何人かは友人はいましたけど
何と言いますか大人数の中にいるとより孤独を感じやすいようです。
田舎のあまり人のいない場所で孤独になるより
都会で孤独になる方が私にとっては遥かに辛いことでした。
もちろんこれは一長一短ではあります。
ですが今の時代。
心を病んでしまう人が急増している時代。
孤独にさせてしまうというのは
本人にとっても周りにとってもすごく悲しいというか
危険なことでもあると感じます。
私自身も息子と向き合えず
孤独にさせてしまったことを深く後悔しています。
だからこそ同じような人を出さないためにも
できるだけ人と繋がっておくというのが
大切なのではないでしょうか?
今の時代に必要なこと。
それはより密な人間関係、人との繋がり。
コロナのせいで身体的な密は避けなければなりませんが
心の距離はできるだけ密に。
できるだけ手を取り合って生きる。
それが何よりも大事だと感じています。
生きる力の低下=人付き合いの希薄化
人はどこまで行っても
1人では生きられないということですね。
助け合い生きる方が人間本来の自然な姿なんだと思います。
そうすると幼い頃の光景がふと思い出されます。
盆や正月になれば30人ほどの身内が集まり
子供がわいわい騒ぐ中、女性たちが談笑しながら
ご飯を作り、男性陣はどうでも良さそうな話を延々としている。
今ではあまりみられなくなった光景。
何気ない集まりの中にあった絆。
特別何をするでもないそんな集まりこそが
何か大切なものを含んでいた。
今こそ人と人との繋がりを大事にしなければと思うのです。
それはどんな関係性でもいい。
誰かとできるだけ繋がること。
そうすることで自分も救われるはず。
そしてそれが未来のドアを叩く鍵になるはずです。
改めて今日の一言
最後に改めて今日の一言
「時代の流れに置き忘れてきたもの。それを見直すことが未来への光となる」
便利簡素化の影に隠れて
薄くなっていると感じられる人と人との繋がり。
手を取り合って生きていこうとすること。
当たり前に思いますが
なかなかできていないこと。
ですがこの一見単純なことこそが
孤独な人たちを減らし、
生きやすい社会を作る土台となるのではないでしょうか?
叔母たちの写真を見て
昔の賑やかな風景を思い出しながら
そんなことを考えました。
私も単純に「昔は良かった人間」にならぬよう
今の時代にできることを考えていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
便利な世の中にあった反面
当たり前になんでもある社会になった反面
幸せを見落としがちになっていると思いませんか?
そんなことについて書きました。
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私は長年経営していたスーパーをやめて、現在は創作活動をしながら地域を盛り上げるような活動を行っています。
これまで本当に山あり谷ありの人生を送ってきて、決して順風満帆ではありませんでした。
幼い頃の貧乏生活、若い頃の度重なる挫折、何度病院に通ったかわからないほどの病の連続、そして我が子の死。
思い返せば苦しい時期の方がはるかに長かった。心が折れそうになったことは数知れません。
けれどいつも笑顔とユーモアを持ち続けてきた結果、今では自分のやりたいことで周りの人に喜ばれるような活動ができています。
こんな風な人生になれたのも人のためという気持ちを忘れなかったからだと感じます。ここまで生きて来れて本当によかった。
悲しいことはありましたけど、私は私として人生を生きられることを幸せに思います。ある程度年齢を重ね、人の喜び=自分の喜びだと今では深く感じています。
ありがたいことに私の拙い言葉で感動されたり、涙を流して喜ばれる方も出てきました。 私はそれが嬉しくてたまりません。私ができることで1人でも多くの皆さんのお役に立てるのならこれほど嬉しいことはありません。
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